2012/04/19

4月19日も記念日(Aya)

ついに来たか、カリフォルニアの夏!?
週末から連日の晴れで気温はグングンと上昇。目に見えて長くなる日照時間も相まって、気分が盛り上がる。週末は夏本番のような天気になるのだとか。

その週末、Yuuは久しぶりのトーナメントを控えている。熱射病対策がいるかもしれないな、こりゃ。強豪相手の3セットマッチを視野に、練習に熱が入る彼女。個人レッスンコーチのFred相手に、最近改良が進んでいるバックハンドでラリーをしていると、突然ラケットから「プツッ」と妙な音が。

「Yuu、ストリング切れたんじゃない」とFredに指摘されてみてみると、ほんとだ、切れてる!!
「切っちゃった~、初めてストリング切った~」と、嬉しそうな彼女。2012年4月19日は、Yuuが初めてストリングを切った記念日になった。

まさか、まだ切ることはないだろうと、26インチラケットに変えた時には1本しか買っていない。これから夏にかけて試合の回数が増えるから、バックアップラケットを買わなくてはかな・・。

「Yuu、また切ったの?!もぅ、張り代がかかるからもっと大事に使ってよー」
と嘆く日は遠くないのだろうか。いや、さすがにそんな日はまだまだ来ないだろう。

 

2012/04/18

象牙にコロッケ(Aya)

4月18日は結婚記念日。今年で14年の象牙婚。

11周年はモンテカルロでリッチに過ごした。12周年はアイスランド火山噴火の影響で、Ayaが出張中に東京で足止めを食らったため日本とスウェーデンでばらばらに過ごした。13周年は・・・・・記憶にない。日本に住んでいた時だから・・・・覚えてない。

そんな感じで年々お祝いムードからは遠ざかり、今年に至ってはHideが「あれ、何周年だっけ。15?」などと言い出す始末。11周年に買い換えたブルガリの結婚指輪だって、最近トンとはめてない。

学校だって会社だってテニスだって通常どおりあるし、特別なことは何もせず普通の水曜日として過ごせばいいか、とも思ったが、それじゃ寂しすぎるだろうとひとつだけ特別を敢行。

夕飯にコロッケ、作ったぞ。

コロッケはHideの大好物。で、ありながら、作る手間を嫌う私は殆ど作ったことがない。茹でて・炒めて・成型して・衣をつけて・揚げるなんて、カジュアルなおかずのクセに工程が多すぎる。

ひと踏ん張りの甲斐あって、美味しくできた。合う、合わないはさておき、Domain Chandonから届いたロゼシャンパンで祝杯。

「実はオレもサプライズ!」と、隠してあった車から取り出してきたHideからのプレゼントは、季節の彩り豊かな花束★★

・・・・というのは私の儚い想像で、たっぷりと飲み食いを愉しんだ彼は、後片付けを手伝いもせずソファーでうたた寝してしまった。トホホ。

AyaHideヒストリーの中でも特にアメリカに来てからは、想像だにしなかったことが次々と起こり、必ずしも本意ではない展開を受け容れながら過ごす日々が続いている。現在も、半年先がどう転がっているかを明確に描くことができない状況は続く。

ただし、これを不安定だとか崖っぷちだとか、気の滅入りそうな表現で捉えるのではなく、変化であり冒険であり、挑戦であると、切羽詰まることなく明るく朗らかに取り組もうとするHideの姿にはいつも励まされる。

私も、大きな変化の波をとらえつつ、目前の日常を大切にしながら、自分の一歩を踏み出す機会を虎視眈々と狙うつもりなので、15年目もひとつよろしく。

2012/04/17

歴史のお勉強(Aya)

Yuuの学校の社会科見学で、Los Altos歴史博物館に行くという話を聞き、自分の勉強にもなると思い、付き添いボランティアをかって出てみた。Los AltosはMountain Viewのとなり町。町ざかいに住んでいる私たちは、学区でいうとLos Altosに属している。

図書館に隣接したこぢんまりとした博物館に入ると、ボランティアの説明員たちが先住民時代からの歴史を説明してくれる。多くが、引退した学校の先生たちなんだとか。

 この地域の先住民はOhlone(オローネ)と呼ばれていた。農耕はせず、温暖な気候がもたらす自然の産物を収穫したり、狩や漁をして生活していた。1700年代後半からスペイン人によって土地や文化を脅かされたり、欧州から伝わった伝染病に見舞われたりして人口が激減し、現在は純血のOhlone族はいないらしい。

Los Altosの町の開発が始まったのは1900年代に入ってから。鉄道会社の重役をしていたPaul Shoupという人物がこの町の父といわれている。San Francisco-Los Altos間をつなぐ鉄道を開通させ、Los Altosをいわゆるベッドタウンとして位置づけたのだという。正式に町として設立されたのは1952年になってから。ちなみにその鉄道、現在はFoothill Expresswayという自動車専用道路になっている。

フムフム、これは勉強になる。子どもたちそっちのけで話に聞き入る私。一方のYuu、話を聞く態度はとても良いのだけど、内容については分かったような分からないような顔をしている。ま、いっか。

3時間に及んだ博物館めぐり、想像以上に面白かった。見学を終えた子どもたちが、先生の号令で「出席番号順」に並ぶと・・・・Yuu小ささが際立つったら!!番号が前後の男の子2人、よりによってクラスでも一番背が高い2人じゃないの。
こちらは博物館と学校の往復で私の車に配車されたクラスメイト。10分足らずの道中、ピーチクパーチクと、まぁよく喋ること!!

でも、友だちと仲良くできている様子を垣間見ることができて、これもまた、ハハとしてよい経験になった。

学校ボランティアはこれまであまり気乗りしなかったのだが、また何かの機会にやってみようかと思う。

2012/04/16

ジジババの8泊9日(Aya)

8泊9日の旅程を終え、無事に帰国した両親。

 「サンフランシスコ市内観光はしなくてもいいから」と、当初から言っていた彼ら。ヨセミテに行く以外は私たちの日常生活を覗くのを楽しみにしていた。

孫とピクニックしたり、
庭のオレンジ(←)や
アボカド(→)を収穫したり、



孫に刺繍を教えたり、








孫のオモチャ(LEGO)ショッピングに付き合ったり、












孫のテニスレッスンを見学したり、
一緒にテニスで汗をかいたり、







近くのレストランで食事を愉しんだり(寿司、飲茶、ベトナム、イタリアン)。

長いようで終わってみればあっという間の9日間だった。スウェーデン時代には訪問が叶わなかった父にとっては、子どもの(というより孫の)任地訪問は初めて。春休み中だった孫とドップリすごした時間が、後に届くクレジットカード請求書も後悔させない思い出を残してくれていると良いのだけれど(笑)。