2011/10/13

Flat Tire(Aya)

免許の試験に合格して、近隣を運転するのにも慣れてきた矢先、タイヤがパンクしてしまった。Yuuを補習校に迎えに行こうとしていたとある夕方、「空気圧低下」を示すランプが点灯。ちょっと前にも点灯して、すぐに消えるという出来事があったので、「またか」ぐらいに思ってそのまま高速を往復30km走り、一晩放置しておいた。

翌朝、「さて、ランプは消えてるかな」と様子を見に行くと、あらら、左の後ろのタイヤがずいぶん平らになっている。本当にパンクだったのね。

しかし、私は独りではタイヤ交換なんぞできない。ディーラーまでは1マイルなんだけど、さすがに昨日から放置してあるし、警告灯が点いてから高速もびゅんびゅん走っちゃったので、このまま運転して行ってディーラーまでもつか分からない。途中でペタンコになっちゃったら途方に暮れるしかない。

と、いうことで、さらに数時間、Hideが帰宅するまで放置した。で、彼にこっちを運転してもらい、私はHideの車でついていってディーラーへ。

「釘が刺さってるねぇ、こりゃ。1本交換でOKだよ。320ドルだけど」・・・・高い。パンクしてもしばらく走れるタイヤを「ランフラットタイヤ」というらしい。自分で交換できない私のようなヘタレには良いけど、その分お値段も張るってことか。それにしても、釘が刺さった状態でX3の車体重量を支え、高速を30km走り、その後24時間放置してもまだある程度の空気圧を維持するって、すごい。

どこで釘なんか踏んだのかまったく心当たりはないが、道路の状態は日本に比べて明らかにラフ。気をつけようがないのかもしれない。

2011/10/10

ニチヨウビ(Aya)

毎週日曜日は朝からヒロと練習。ヘッドコーチの三男でトモダチのMateusも一緒。このコンビ、規定の1時間の練習が終わっても、コートさえ空いていればいつまででもラリーし続ける。7歳と8歳、そこにある子どもらしい友情と、小さな競争心が作用して、平日のレッスンの時よりも、土曜日のHideとの練習の時よりも、ニチヨウビのYuuの集中力はずっと高い。


夜はヒロを招いて彼の二十歳お祝を兼ねた夕飯。「高校生のころは1食4合半食べてました」という彼、準備した3合のゴハンをペロリと平らげてしまった。

ヒロ: 「Yuuはテニスのプロ選手になりたい?」 
Yuu: 「うん!」 
ヒロ: 「じゃ、俺がツアーコーチになってあげようか」

ひとまわりり違いの2人の会話が、夢を語っているようで、現実の計画であるかのようで・・・。

こうして、週末なのにどこにも出かけないIshikawa Familyのテニス漬け生活は新しい週を迎えるのであった。

2011/10/09

せかいの宝(Aya)

近隣の銃撃事件発生ででザワザワしていた10月5日夕刻、犯人捜査をライブ中継していた地方放送局のニュースヘッドラインを完全に塗り替えてしまうような驚きの訃報が入ってきた。

Steve Jobs氏逝去。

「CEOとしての役割が果たせなくなったから」といって経営から退いたのがまだ記憶に新しい。そんなに、容体がせっぱつまっていたとは。56歳。思い残すことが山ほどある最期だったのだろう。

Apple製品や経営者/クリエーターとしてのSteve Jobs氏にそれほど思い入れがあったわけではない私ではあるが、訃報を機に各メディアが報じた同氏の特集番組や記事に触れ、その偉大さが少し理解できた気がしている。

このシリコンバレーを世界のITビジネスのイノベーションの中心にし、あまたの会社がこの地での成功を勝ち取るために躍起になるという競争の構図を作り、維持しつづけた。そういう意味ではIshikawa Familyがこの地に移る機会を得られたのも、間接的にはJobs氏のおかげと言ってもいいかもしれない。

訃報から数日後の土曜日、我が家から5マイルほどのところにある同氏の家を訪れ献花させてもらった。前庭には何本ものりんごの木。そういえば、Apple社という社名はどこから名づけられたのだろう。

庭先には無数の花束、メッセージ、ロウソク、そして、かじりかけのリンゴが供えられ、訪問者はひっきりなし。

出かける際、Yuuには『iPadやiPhoneをつくった人が亡くなったんだよ』とだけ話してあったが、あまりの献花の数に本人も事の重大さを理解した様子。『こんなにたくさんの人が悲しんでるのか』と呟くとメッセージカードをよみながらしばしじっと立っていた。

Rest in Peace 心よりご冥福をお祈りします。

献花を終えて帰り際のYuuの一言; 「せかいのみんなはちがうこと言うかもしれないけど、YuuにとってはAyaのほうがずっとずっと宝物だよ」。いいこと言うじゃないの、このムスメ。